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天草楊貴妃伝説|島名由来


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第6章 楊貴妃が愛した冬虫夏草

 楊貴妃といえばまず思い浮かぶのが「絶世の美女」である。その美しさを支えたのが阿膠(あきょう)と茘枝(ライチ)と冬虫夏草だと言い伝えられている。

冬虫夏草の歴史から検証⑧

 阿膠はコラーゲン、茘枝はビタミンCが豊富な南方の果実、冬虫夏草といえは漢族初代の皇帝である黄帝の昔(4500年前)から滋養強壮、不老長生に効果が高いとされ、秦の始皇帝など歴代の皇帝や皇族が重用したという天界の草(実はキノコ)である。
 そして今日、天草市では天草(テンソウ)が話題の中心にある。伝説だった天草(テンサオ)が、楊貴妃が流れついたといわれる立の鼻(タテンハナ)の島人によって栽培され、楊貴妃が施したように、病に苦しむ多くの方々にきわめて廉価に配られるというのである。
 天草(テンソウ)とは、楊貴妃を愛した天子(玄宗皇帝)が天使に採らせた天に生える草、皇帝の不老長生と楊貴妃の永遠の美を求めて、2人で愛用した神秘の薬草。王朝を傾け、いにしえの島人を救った天草(テンサオ)が、しかも、楊貴妃を語り伝える神話の郷(新和町)から予言の通りに萌えいづる。
 この奇跡とも思える因縁の成り行きに、楊貴妃神話を知る関係者は驚きを隠せない。
 伝説だと思っていたことが立の鼻の島人によって現実となる、いにしえ(古)の再現ともいえる島興し・街おこしが、新たなる天草神話の第1ページになるような予感さえしてくるのである。

第7章 夢に現れた楊貴妃

 筆者が天草に招かれて島興し街おこしの説明会を行ったのは、平成24年12月1日だった。その夜は新和町の方々とともに天草料理と旨い焼酎を酌み交わしながら楽しく歓談し、本渡のホテルに帰って11時ごろには深い眠りに落ちたようです。翌朝には、島興し代表の松岡さんが迎えに来てくれて、JR三角駅まで送ってもらえる手はずでした。

 その翌朝は、雲一つなく晴れ渡って海のずっと先まで見わたせた。迎えがくるまでまだ時間があるので、散歩がてら、海の方に歩いてみた。
深い紺色をした海に突きだした岬まで歩くと、緑の草の上に白い大きな椅子を置いて座っているご婦人が目に入った。引きつけられるように近づいた筆者に、そのご婦人は話しかけてきたのである。
「昨日の講演は、とても素晴らしかったですよ」
「はっ?」
驚いて、ポルトで行われた会場の光景を思い起こしてみたが、あの中にはこれほどまでに目立つ女性は来てなかった。
「でも、あなたはお見えではなかったでしょう?」
 ご婦人は少し笑みを浮かべながら「はい、私は行ってませんが、天草のことは全て分かっています」と応え、続けて「冬虫夏草は素晴らしい、私も普及に力を貸してあげましょう」と言うのである。
 色白でやや面長の40才前後のとても美しいご婦人は、悲しそうな顔をして海を見つめながら話していた。黒髪を肩の辺りで一つに束ねて、白いブラウスに、太い毛糸で編んだ濃いグリーンと赤と白の格子柄のショールをまとった細身の姿が、あまりにもこの場所とは不釣り合いなのである。
「でも、普及には資金も体力も必要ですから」と答えようとした筆者の言葉をご婦人は遮って「大丈夫ですよ。この島の全ては私のものですから」と応えるのです。
 ホテルに帰って、見送りに来てくれた新和町の方々にこのお話を伝えたところ、「えっ、会ったですか。そのお方は天草の女神様ですよ。この天草では誰も会ったことのない高貴なお方です。会ったですか?」と、過剰反応ともとれる表情をしているのです。


 ハッとして目が覚めたのは、日付が変わった午前3時ちょうどだった。
「夢を見ていたのか・・・」
 それにしても、夢って色がないとか言うけどこの夢はくっきりとカラーの浮きでた鮮明なものだったし、一言一句をはっきりと覚えているほど現実的で、とてもリアルな夢だった。迎えにきてくれた松岡さんに話をしたところ「それって、楊貴妃ですよ。前にちょっと話したことがあるでしょう」と言うのです。
 そうそう、そう言えばそうでしたね。
思い起こすと、島興し街おこしの相談を受けた昨年の夏の頃だったろうか、確かに「天草に楊貴妃が流れ着いた」って、松岡さんが言っていた。
でもね、あの時には、「そんな話し、いくらでもあるでしょう」と、相手にもしなかったけど。
源義経がモンゴルに渡ってジンギスカンになったとか、秦の始皇帝の命令で徐福が冬虫夏草を探しにやって来たとか、楊貴妃だって奈良にも山口県油谷町ってところにも和歌山県にも流れ着いたということなんだから、やはり地域の宣伝文句だといった記憶確かに残っています。
「いえいえ、楊貴妃が天草に漂着したってことは天草の人は誰も口外しませんよ。口外したら天罰があたるってことで、今までは誰も口にしませんでしたよ。だけど、その夢はまさしく楊貴妃としか考えられません」
 松岡さんにそう言われれば、そうかもしれません。天草島人が1500年近くも秘密にしてきた楊貴妃のあの悲しそうなお顔は、何か大きな事情を背負っているからなのだろうと、筆者は急に楊貴妃のことを調べてみたいと思うようになった。
「分かりました。じゃあ次に来るときは楊貴妃の銅像を訪ねてみましょうか。楊貴妃が何かを伝えたくて、夢でメッセージを送ってくれたのかも知れませんから」
 その日以来、筆者は、楊貴妃のあの悲しそうな横顔が忘れられなくなりました。

第8章 楊貴妃が残した予言のとおりに

 楊貴妃が竜にくわえられて天に上るとき、懐にしまっていた袋を取りだして中の薬草を掴んで社の周りに捲き散らし、そしてここより天草が萌えいでて病に苦しむ人々を救うと、予言をしました。
 この伝説を裏付けるように、天草から、冬虫夏草の地産地消プロジェクトが九州全域に広がり、そして山口県、広島県、さらに関西、関東地方にも広がっています。
楊貴妃に興味を抱いて天草を訪ね、漂着したといわれる立の鼻(タテンハナ)に立ち寄った大分県日田市のご婦人グループ。そして同じく、岬に佇んで悠久の思いをはせた有志たちの決意から3年。楊貴妃の優しい思いがあなたの地元に届くのも、もう間もなくかも知れません。

END
筆者:川波連太郎

以上より資料抜粋加筆
冬虫夏草の歴史(中世)
「古事記」
「続日本記」
冬虫夏草
 

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